銀色の星空に金色の満月。
藍の色をした夜空の草原。
凍てつく寒さの風が流れる丘。
その中でただ一本だけ剣のように生えている一本の大木があった。大木は村にあるぶなの木によく似ていた。
風が体を貫くように駆け抜け、そして誘い、移動させる。抵抗、防御は一切許されないほどの強力な力で引き寄せる。風だけではない。意識と感覚が皮一枚を残して乖離したような感覚である。見えない何かに引き寄せられている。
この先にあるであろう確信と予感。意識のままに抵抗するが、それに対して体は反応を示さなかった。そう、この体すべて──もはや、最も敏感な感覚器官、目すらもすでに制御不能。一点を見つめたまま瞬きすらしない。今はただ────歩いているだけである。
「紫柏七月……邪神の巫女」
大木にたどり着いた瞬間その言葉が頭を貫いた。すぐ近く、女の人の声で頭の中へ直接たたき込まれたような感覚であった。まるで、天の導きを受けたのような感覚は夢では無かろうかと言う考えを私にもたらした。
気づくとすでに私を縛り付けていた何かは無くなっており、自由に行動できるようになっていた。
大木に近づくとそれは確かにぶな木で、しめ縄は無いもののやはり村にあるぶなの木に似ている。何故か親しみを感じてその木に触れると、手に木独特の柔らかく、しなやかな感覚が伝わってくる。
「気に入りましたか?」
──!
私の近くには誰もいなかったはず。それなのに、今見ると1人の少女が立っていた。歳はおおよそ16歳程度か。私のに比較しても綺麗な金髪、左右長く伸びた髪が特徴だろうか。他にも声が象徴的だった。水のように透き通った声。そして、毒の無い話し方。その少女は自分のことをパルテノンと名乗った。大人びた柔和な口調で話してくるなと思ったが、それ以上に物腰が固いなと直感的に思った。
「貴女に伝えたい事が有ります。大事な事ですので良く聞いて下さい」
口調を一際強くしたと思うと、神妙な面持ちで話してきた。今までとは様子が違う。分かりました。心して聞きますと答えると、「よろしいっ!」と和やかに言った。
彼女は続けて
「あなた達の世界は危機に瀕しています」
──はい?
彼女──パルテノンの発したその言葉に私は耳を疑った。これから良くなるの間違いではないかと。1000の狂宴はとっくのとうに終わっているし、現在は魔物が出るとはいえ、世界は安定していると思っていた。しかし──そうでは無いらしい。彼女が何者か分からない以上100%信頼することは出来ないのだが。
彼女はとまどっている私など無視して話を続ける。
「貴方の世界にはある法則が隠されています。それは1000年で世界が崩壊するということ。事実、世界は何度も壊され作られて来ました。しかし──」
言葉を濁す、彼女。彼女の表情は曇っていった。
「──誰一人として世界の崩壊を防いだ人物は居ませんでした」
同時に風が吹く。それはさっきまでの風と比べものにならないほど、冷たかった。静けさは風で増し、そして両者は無言になった。風は草木を揺らし、音が鳴る。
疑問は確信へと代わり、驚いたの同時にある予感を感じた。目の前にいるパルテノンは私にこの世界を救えと言うのでは無いか。それでなければ、何故ここに私しかいないのかと言う理由が分からない。だが、1000年で崩壊する掟など破れるものなのか、しかも前例が無いならなおさらだ。
これが物語ならば前に勇者や賢者が居たであろう。しかし、パルテノンは挑戦者はいたが成し遂げた物はいないと答えた。それでやれと言うならばこれは生け贄の儀式ではないか。
あれ、待って。彼女はこの世界の人間。何でこんなことを知っているんだろう。
「それでお願いが有ります」
「ちょ、ちょっと、待ってください」
同時にハモった。
また、静寂が風となって駆け抜ける。全く、涼しい風だと思う。
「先良いですよ」
そう、譲ったのはパルテノン、彼女の方だった。彼女の誠意はちゃんと受けよう。その方が良い方向に進むと思った。
「ありがとうございます。では質問なんですけども──失礼ですが、あなたは何者なんですか」
「私ですか──?」
「私は──パルテノンという名で在ることは先ほど話ましたね。この名は私の本命ではありません。この姿自体も仮の物です。ただ、この姿の名前はパルテノンと言います。私はあなた達で言う処の神です。創造神と呼ばれています。この世界が何度も崩壊、再生するのを見てきました」
創造神……。
一度で収まらず、二度も驚いた。聞くだけで意識が遠くなる。何しろ、私が使えてきた神が目の前にいるのだ。私の神社で祀っている神は神族全体。誰であろうがその対象になる。しかし、創造神だけは格別だ。この世界を神。レベルが違う。
言葉を失っている私を横にまた彼女は話し出す。
「それで私からお願いがあります。この世界を救って頂けませんか。勿論、只では有りません。私からは戦うための力を捧げます。もし、成し遂げたならば恒久の命と容姿を保証します。失敗しても、新たな世界に宿る命を差し上げましょう」
途中で何を言っているか分からなくなった。私が世界を救う? 対抗する力を貰える? 恒久の命? 新たな命? 私にそれを支えることが出来るのか。役割を果たせなかったら、私の存在価値はどうなるのか、村はどうなるのか。不安だらけだった。
「嫌なら構いません、それならばこの世界はその法則の通りに崩壊するでしょう」
「わ、私は──」
彼女は柔らかいながらも凶悪に言った。
もう、泣きたい──。
世界の中で何故私だけが──。なんで、私が──。
救いたい──だけど──だけど、私にそんな大役は──できるんだろうか──。
静かながらも威圧のあるパルテノンの声は私を崖へと追いつめた。もう、後ろはない。今の彼女は沈黙している。まるで私の返答を待っているようにだ。そうやって、私は一歩一歩と後ろに追いつめられていく。答えを出さなければ、恐らくは──
──恐らくは、最も親愛なる神の美園から離れてしまうことになるだろう────。
「──人々を助けたい……でも、そんな大役が……大役が私に……出来るわけがっ…ないんです…」
「それは大丈夫です。貴方にはその役を演じられるだけの素質があります。村の方は使いをお送りしましょう。貴方はこの世界で認められたのですから、自信を持ってください」
彼女の表情がさっきと打って変わって優しい顔になった。私も多少なり安心する。
「それは……失敗したとしても…いつも通りの生活を…送れると言うことですか?」
「そうです」
「分かりました…」
今、私に必要なのは私自身ではない。私自身が失敗して嫌なのは村の人たち。いつももし、失敗したときには私の村は無いだろう。それが一番怖かった。
村を守っている巫女がいなくなれば、怪我の回復が出来なくなる。その時どうなるかは…想像したくない。だけど、それが守られる。それだけあれば村の為に集落を出るのは苦しくはない。
ただ──それ以外の何かが私の奥底、そう心の底から叫びだしている。これは危険だ。何か起きるぞ、と。しかし、そんなのに屈していては私の希望は叶えられないだろう。パルテノンの話が本当ならば、そして彼女が神ならば──あと4年後には世界は終わってしまう。
私はここで世界と戦うことを決意し、彼女と契約を交わした。
それはユリウス暦996年の2月29日のことだった。
*
パルテノンは紫柏七月に必要な情報を話したのち、あるものを彼女に授けた。それは黒く美しい漆を思わせる髪飾りで黒曜石でできていた。その周りにはこの世の技術では到底不可能な模様が編み込みが行われていた。
それを紫柏七月が受け取り仕舞うのを確認すると、パルテノンは神妙な面持ちでこれが大切な事と、自分の中で役に立つと言うことを教えてくれた。
そして、パルテノンはさてと一言置くと何かよく分からない言葉を言った。それは呟くような呪文のようなものだった。
「はい、なんでしょうか」
「あっ!?」
紫柏は驚いた。なにより、いないはずの場所から堂々とまるでいたかのように男が出てきたのだ。しかも、まるで召還のような経緯の上でだ。
しかし、容姿は悪くはない、むしろ良い部類にはいるだろうが、彼女には男っ気がほぼ皆無だったため、男も女も大して驚きの量は変わらなかった。
彼は礼儀正しく挨拶をして、やはり紫柏七月の事を『邪神の巫女』と呼んだ。しかし、彼は自分の名を名乗ること無く、パルテノンの方へ向かう。そして、パルテノンは男に耳打ちをしていた。紫柏には内容は良く聞こえなかったが、少なくとも自分たちが使っている言葉ではないことは分かった。
やがて、それが終わるとまた紫柏の方へ向かってきた。
一際、強い風が大地をさすり、なびく。紫柏とその男の髪は大きくゆれ、はためいた。その中でも大きく紫柏の髪が揺れた瞬間────
──パルテノンの姿は錦糸の髪と共に影も形も無くなって、あたかも元々居なかったように、消え去っていた。
最後に「この世界をよろしく頼みます」と言い残して。
これが聞こえたのは紫柏だけだったが、もうこの世界に慣れたのか驚かなかった。同時に彼女は小さく、「分かりました」とつぶやいた。
男はそんなことがあろうとも全く動じず、棒人形のように立っていた。整えられた顔貌は時々怖いと思った。しかし、着ていた黒のスーツはよく似合っていた。まるで西洋人の様な異様さを兼ね揃えているその男には合いすぎるぐらいに。
「さあ、紫柏七月。お前は戻らなくてはならない。こっちだ」
感情無く、単調な喋り。
彼は必要なことを言うと大木に背を向けて歩き出した。紫柏は多少不安もあったが、行かなくては帰れないと思いついていった。
その間際に見た大木は凜とした風貌の中、さらさらと舞い続ける葉は美しく、雅だった。
男はある湖畔に着くと足を止めた。そこまではそれほど長い距離ではなく、一刻も要さなかった。だから、紫柏の後ろには一面広がる草原があった。湖畔には梟と思わしき大きな鳥が見える範囲どこにでも居て、その水はどれほどの深さがあるか分からないほど、透き通っていて薄い瑠璃色をしていた。飲めるのは間違いないだろうが、それは決して飲んではいけない水だと紫柏は直感的に分かってしまった。
男はさらに湖畔へ近い崖の様な場所へと紫柏を連れて行った。
そこは大きな砂浜とは対象的に切り立った岩場の様な場所だったが、滑らかに整えられた岩があり、危険な場所では無かった。しかし、ここからどこまで深いのかはぱっと見て分からないほど、そこは青く深い水が沈んでいる場所だった。
ここで男は紫柏の前で2度目になる口を開いた。
「私とはここでお別れだ。また、いつか私と会おう。健闘を祈る」
それ一言言うと、男は紫柏から離れた。一方の紫柏は何のことだか分からず立ちつくす。これから何をすれば良いのか、紫柏には皆目見当も付かなかった。
紫柏が戸惑っている中、男は男なりに何かをやっていた。男はやはり聞いたことも無い言葉をブツブツと喋り、右手を大きく引いた。それと同時に彼の右手の中心から光が舞う。桜の舞いを思わせる光の筋は彼の手の中にあるものを生み出す。
それは穂が50cm以上あり、1mを超える大きな柄をもった鋭い──
「グングニル!」
──槍だった。
紫柏はたじろいだ、いや、どんなに精神が強い人間だろうと関係ない。グングニル。その武器はそれほどの威圧と鋭さを誇る武器だった。紫柏は聞いたことが無いわけでは無かった。そう言っている間にも光の強さは増し、さらには威圧も増す。
しかし──彼女は分かっていなかった。
彼女が狙われていることを。そして、この後どうなるかを。いや、意識的には理解しているだろうが、その意識はもはや紫柏には無い。とにかく、せまる恐怖の存在から逃げたかった。彼女は滑らかな岩場一歩一歩と後ずさりした。それも恐怖で注意を怠ってしまい尻餅を衝いてしまった。
「あ……あ…や、やめて……やめて────」
目は完全に伏せ目で足はすくんでいた。怖い、その感情は震え声となり、足へと伝わっていた。武器の圧倒さしか、彼女には感じられてない、本能的な恐怖が彼女を震え上がらせていた。
一方で男の手には完全な形で槍が現れ、もう構えが完璧に決まっていた。その銀色の刃の先は完全に彼女捕らえていた。
──そう、その一瞬で────
「────!」
数羽の梟が飛びだつ。一瞬のざわめきと鈍くする布の切れる様な音。
槍は大きく振りかぶった男の腕から大きく投げられた。その穂先が彼女の服を裂き、皮を裂き、中心を貫き、そして突き抜けた。紫柏には貫かれた意識は無かった。何かが突き抜けた。ただ、それと伴う痛みと同時に紫柏は吹き飛ばされた。
紫柏の体が空中に放り出されると彼女の体は海老ぞりになって、停止する。その瞬間、串刺しにされた彼女の服が黒く染まり始めた。
そう、黒く、黒く、黒く黒く、黒く黒く黒く、黒黒黒クロ黒、黒クロ、クロクロ──。
やがて、そのそのクロからまた黒の長くて美しい────羽が現れた。
羽根は最初丸く、塊となって彼女を包む。包んだと思うと一気に広げその美しい黒曜の羽根を広げる。巫女装束の朱い部分は玄へと替わって彼女を包んでいた。羽根は一枚一枚が烏の羽根のように黒々しく、先の羽ばたきにより羽根が宙を眩し上げる。
その時、彼女を討った男は初めて彼女が美しいと思った。神にそう思わせるほどの魅力を紫柏七月は持っていた。この女は必ず彼を打ちのめしてくれると、この時男は確信した。
空中に浮いている状態も長くは続くはずも無く、やがて慣性に任せて揉まれるように落ちて行った。着水と同時に大きな音を立てながらもどんどんと沈んでいく。そして、男から紫柏は見えなくった。
「彼女ならやりえてくれそうですね」
「そう、だな……」
いつの間にかも男がグングニルと叫んだ武器は手元に戻り、また光へ変化したじめていた。その光の筋の横に今度は縦に光の束が現れてパルテノンが現れた。
男はパルテノンと一言話した。