ボクは雪の中で少女に出会う。
冷たく、澄んだ、駅前の銀世界。
白く、冷たく、そして冷酷な事実。
墓の前で祈る心は無心に帰り、
全てを語り始める。
ボクは雪の中で少女に出会う。
冷たく、澄んだ、駅前の銀世界。
白く、冷たく、そして冷酷な事実。
墓の前で祈る心は無心に帰り、
全てを語り始める。
周りを見た。
駅には人がわずかしかいない。寒い空に雪が降っているなかの寒さだった。
その中で一人だけ特別な子がいる。本当に特別。
その子は、こんなに寒いのに明らかに薄着で、しかも何一つ荷物を持っていなかった。明らかに不自然な格好している。だから、特別。
そして、その子は女の子で、とは言っても年は少なくともボクよりは年上だと思う。でも、おばさんやおねえさんという雰囲気では無く、少女と言ったイメージがある女の子だった。
人一倍目立つ格好をしているはずなのに他の人は一切気づかず、誰一人として女の子のいる方を向く気配すらなかった。
人を待っているのだろうか? それにしては薄着過ぎる。ポロシャツにジーンズ。その格好をしていながら、この極寒の地の真っ只中にぽつんと一人で猫のように立っているのである。その程度の服なら多少の防寒着にはなるだろうが、ここは時に氷点下を下回る場所なのだ。そのせいか、さっき駅に降りたのはボクも含めて十人程度だった。いや、もしかしたら、それよりも少ないかもしれない。そんな、極寒の過疎地同然の場所に一人、軽装の……しかもルックスも悪くはない女の子がいれば人だかりができるのも珍しいものであるに間違いないだろうが、彼女の周りには人一人、彼女の前を通っても振り向きもしない。誰も彼女が見えないのだろうか。
ボクは気になって彼女の方に近づいていった。
周りを見ると、もう、皆帰ってしまったのか人一人もいなく、完全にボクとその子だけになっていた。静まりかえる世界、寒さが重なってさらに重さを増す。そこにあるのは、ボクの歩く足音だけ。
しんしんと降り続ける雪の中、ボクの動く音だけが──、
彼女は動かない。
まるでボクが来るのを待っているように。
まるでボクが来たのを待っていたように。
そうなのだろうか、もしかしたら、動けないだけかもしれない。何かの理由があって、とどまっている何かが。
ボクが彼女へ、一歩、また一歩近づく中、不安は増していく。
夢物語。そうであって欲しい願いが心の中にあった。現実感が無い光景が目の前に存在する。夢なら、彼女と話した瞬間にでも目が覚めるのであろうか。気づいたら、まだ電車の中なのかもしれない。
雪がボクのほおをなで、指先を凍らせ、身体に突き刺さる。ゆっくりと彼女へ近づき、とうとう、彼女の前までたどり着いた。距離にして、百メートルも無かったであろうが、考え事をしたせいもあってか、その道のりは十倍、いや、それ以上に感じた。
彼女の身体は白かったが、決して死んだ時や凍傷になったときほどでは無く、例えるなら白桃のような、白い中にも若干優しい肌色があるような感じであった。俗に言う美白肌と言うものが一番似合うかもしれない。ただ、彼女の白さは恐ろしく自然で比較にならないものがあった。
身長はボクより若干高いぐらい…だろうか。目線はほぼ一緒。髪のせいかもしれないが、ボクより大きく感じた。
顔は遠くから見たときの印象と同じで非常に良い顔立ちをしていた。でも、ボクはこの顔をどこかで見たことがあった。どこかは分からない。ただ、つい最近。しかも良く慣れ親しんだ場所で見たことがあるような気がした。そう、ものすごく近いどこかで──
──既視感
そうとも言える感覚が襲いかかる。
ならば、どこで? 何故? そして、どうしてだろうか? 考えてみるが記憶には無い。
しかし、一方の女の子の方はさっきから黙ったまんま、表情すら一切変えずにずっとボクを見ている。
「……」
目の前の女の子はひたすら沈黙している。
こっちもさっきから黙ったまんまだ。
実際はそれよりも彼女が何者なのかがボクには気になってしょうがなかった。駅の前で軽装で立っている女の子。小説やゲームに出てきそうなそんな不思議な感じを持った彼女が今目の前に忽然といるのである。
「ねえ、君…何をしてるの?」
気づいたら聞いていた。
いつの間に彼女の前まで行ったのだろうか。ボクは彼女の前まで歩いていき、無意識のうちに聞いていたようだ。彼女の返事はない。
「(ふるふる)」
彼女は無言で何も答えずにゆっくりと首を横に振った。
意味が分からない。
「どこから来たの?」
「(ふるふる)」
さっきと同じ。
「なんでここにいるの?」
「(ふるふる)」
「ここ…寒くない?」
「(ふるふる)」
「君、なんて言うの?」
「(ふるふる)」
何を質問しても、答えは同じ。
彼女と僕の頭の上にはもうかなりの量の雪が積もっている。
僕は帽子があるので全く構わないのだが、彼女は相当寒いはずである。しかも、服装があそこまで軽装となると凍りそうなぐらい寒いはずだ。
「寒そうだね。ちょっと、待ってて、今暖かいの買ってくるから」
僕は彼女の為に自動販売機で何か暖かいものを買ってこようと思った。彼女の姿を見れば誰だって、見てて痛い思いをするのは当然だと思う。
しかし、彼女は
「(ふるふる)」
拒否の行動を示した。
僕はそれでも強引に自販機へ行ってこようとした。
ところが、さっきと同じ、いつも通りの仕草がさっきと違った。
「(ほわっ)」
優しい笑顔。
僕はほっとして、小走りから歩きへ変わる。自販機までの距離は百メートルもないであろうが、何故か急ぎたくて、ゆっくりになった歩みをまた加速させる。それは何かを失いたくない狼のように孤独感に追いつめられていたのだろうか。
やがて、自販機にたどり着く。そしてふと気づいた。彼女が何が欲しいのか。暖かいものなら、コーヒーやお茶などがあるが何が好きだか聞いていなかったのだ。
「ねぇ?」
僕は自販機から振り向き、彼女がいた場所を見た。
「えっ…。あれ…?」
誰もいなかった。
そこにあったのはしんしんと降り続く雪と虚空だけ。そこ子がいた場所には形跡はおろか、雪の陰すら無かった。
不意をつかれた感じで呆然と立ちつくす。心が空っぽになったと言っても良いだろうか。まさに横腹に槍。空虚な平凡は非凡の後には普通じゃなく見えると言うが、今はその通りだった。
彼女が居た形跡すら、いや、記憶としての形跡以外の全てが無くなって、何をしていいのか分からない。
「……」
僕は暫く立ちつくした。
不意に訪れた出来事が何を意味するのかを考えることも出来ずに、ただ、ただ立ちつくした。
今のはなんだったのか。
彼女はどこへ行ったのか。
彼女は本当に居たのだろうか。
彼女は本当は居なかったのではないか。
すべてはボクの見た幻覚で。
すべては何かの希望が生んだ妄想だったのかもしれない。
*
そして、どれくらいの時間が経っただろうか、さっきまでついていなかった寂しいだけの街灯はどれもが煌々と孤独を映し出すかのように道を照らし出し、電車を降りた頃にはまだ地上線近くにあった太陽は今や白く輝く月へと変わっていた。
「帰ろうかな」
独り言をつぶやく。今はそんな気がしなかったが、それしか今のボクには選択肢が無かった。これ以上ここにいて、得られるものは無いだろう。彼女のように白く、冬に咲く陽炎ように雪に埋もれて、息絶えるなら話は別だが。もちろん、彼女はボクの妄想か何かろうから、彼女はそんなことするわけが無いが。
帰り道。舗装されているかも怪しいあぜ道をゆっくりとたどる。人気どころか、道沿いには家すらもほとんど無く、街灯も四つ先が見えないほど長い間隔でおかれている。見る限りひたすらまっすぐの道をずっと、ずっと、ずっとたどり続ける。
昔、人は、道は人生と似ていると言ったという。道は曲がりくねり、一筋縄でいかない様子をたとえたという。その道は目の前に広がり、人を待ちかまえているらしい。それが本当なら今目の前の光景はまさにボクの人生そのままなのであろうか。ひたすらまっすぐ、ただまっすぐ、そして寂しいだけの道。それが長く続くボクの未来なのだろうか。
そんなことを考えながら歩いた、家まで約二十分の距離が、ボクにはすごく長く感じた。
家の前に着いた。
雪国らしい垣根に、途中に門として置かれた石。家は新しいながらも庭は古典的で、門から玄関までにはわずかな飛び石があり、その周りは青々とした芝が生えている。家自体は現代風の二階建て住宅で、屋根のトタンが象徴的な建物だ。壁はグレーが少し薄くなったシルバーグレーのような色に、雪国では一般的の雨戸と二重ガラス窓があった。
それは、いつもの変わらないもの。
いつもの佇まいに、いつもの光景。何も変わらないボクの家がそこにあった。
ただ、何が心の中でざわつくボク以外を除いては。
ざわつくと言ってもさっきみたいな何か心残りになって意味では無い。このボクがボクの家の扉を開けてしまったら最後、もとの自分には戻れない様な不安感。まるでトラウマがあるどこかの少女の様に、家の前で立ちつくしていた。
何があったのか。
何が起きたのか。
そして──
このざわつきの原因は何なのか。
虫の知らせ。それはもう十二分に理解していた。ここから先に進めばその知らせの意味を知ってしまう。何かを失いたくない気持ちが、極寒の空気から逃れると言う選択肢を奪っていた。
*
あれから、もうどれくらいたっただろうか。少なくとも、家に着いてから、三十分は経っていたような気がする。もう、体は凍え、指先は冷たく、足の指の感覚は無くなっていた。そして、玄関の明かりがつき人が出てきた。
「あら、なにやってるの! もう、体冷たくなってるじゃない、ほらストーブ焚いてあるからさっさと中は入りなさい!」
出てきたのは、お母さんだった。
普段と変わらない──それでも大げさで賑やかなその態度が、不安になっていたボクを多少なり勇気づけてくれた。
ボクは玄関に入り、肩に積もった雪を払う。大分、外に居たせいか、手は思い通り動かず、ぎこちなく動くだけであった。雪を払い終えるとリビングに向かい、広いリビングの中央においてある、だるまストーブにあたった。じわっ、と火から直接来る暖かい感覚に今日あったことがフィードバックしてくる。
いつも通り降りた駅で出会った謎の少女。彼女は何も話さず消えてしまった。それだけなら良かった。しかし、ボクは以前、彼女にあったことがあるような感じがした。それが、ボクの中で錨のように心に残っていた。
「ねぇ。ちょっと、変なこと聞くかもしれないけど──」
聞いてみた。何も無ければそれで良い。何かあれはその時は年貢の納め時だと思って聞こうと思っていた。
「──今日何かあった? 特に夕方あたり」
願うならば、何も無いことを願いたい。でも、それは許されないことだともう分かっていた。何かが居ない。認めたくない心がその何かを一生懸命否定していた。
「みーちゃんが居なくなっちゃったの」
認めたくない事実。それが刃のごとく自分を切り裂いていく。
みーちゃんとはボクの家で飼っていた猫である。いつもリビングに居座ってたそいつが、今日に限って一度も出てこなかったらしい。
それで直感的に思った。
猫は死に場所を選ぶという。それがどこなのかボクには判断できないが、もし、あの出来事がこれと関係あるなら、その場所は一つだけしかなかった。
ダッと無言で方向を換えリビングから飛び出す。はたから見れば脱兎の様であったであろう。
できれば、自分の思い違いであってほしい。
できれば。
できれば──
「イキテテホシイ」か。「ソコニイナイデホシイ」か。いずれしろ、今のボクの頭はそれでいっぱいだった。
ダッダッダッ──
階段を駆け上がる。上がり、上がり、上がりやっとの思いでたどり着く。いつもの数倍に相当するスピードで駆け上がったせいか、それとも急ぎすぎたせいか。どちらにせよもう自分の息が上がってることなど気にもとめてる余裕はゼロに等しかった。
そして、前に見える自分の部屋に…真実が待っているであろうその部屋に、壁をぶち壊さんという勢いで走っていく。
そして、自分の部屋にたどり着く。
ドアノブに手を触れ、ドアを開けようとするが──
──できない──
見てみると手が震えていた。
わなわなと震える手は、まるで真実を白日に照らしたくないかのように、ボクの意志とは無関係に震え続ける。いや、関係はあったのかもしれない。今ボクのココロにあるのはある予感だけ。あの幻想と今日起きた事実、それから導かれる答えがそれなら、このドアの向こうには──が、そして、あの女の子は──と言うことになってしまう。
やがて、ボクはそのドアを開けられないまま、崩れてぺたっと座り込んでしまった。そして、ボー然と目の前のドアを見続ける。ボクの目には望んでもいないのに、小さな水たまりができていた。
やがて、さっきの形相に驚いた家族がやってくる。
やってきたのはボクのお父さんだった。
「何をやってるんだ」
ボクは、涙声を必死に使ってあけてほしい事を説明した。もう、この涙がかれようとも構わない。事実だけ、真実だけは自分のこの目で見ておきたかった。ただ、それだけ。それだけの望みをあけられない手の代わりに今にも潰れてしまいそうな細い声で言い放った。
「わかった。ただし、俺が開けたことを後悔するんじゃないぞ」
お父さんはそう言うと、ゆっくりと確実にドアを開けた。
そこにあったのは──
──ボクのベットの上に丸くなって死んでいる小さな猫だった。
様子はまるで寝てるようで、おこせばまたいつものように元気にボクにじゃれついてくると思った。そう、まるで生きてるように。
近づいてさわってみた。
ベットがボクの体重で沈む。
もう、それは冷たかった。
まるで雪のように。
やっと、わかった。
やっと、確信が持てた。
やっと、全てが分かった。
彼女が何を伝えたかったのか。
彼女が何であそこにいたのか。
彼女が何でボクだけ見えたのか。
暖かい部屋の中で、その答えが氷のようにボクの胸を刺す。
もう彼女は居ない。
彼女にはもう会うことができない。
全てが終わったように世界は凍り、ボクはその中に閉じこめられたような感覚だ。
そんな、凍った世界でも時間は流れ、そして、変化し続ける。
彼女が生きていて、ボクが好きだった時間は二度と起きない。時間は不可逆だ。そんなことできるわけがない。だから、その人間はタイムマシンや不老不死を求めるんだ。やっと分かった。
ボクも結果的には同じだ。もう、二度と起きない刹那を求めて泣いている。それは自然なっことだろう。でも、ボクにはまだやらなきゃいけないことがいっぱいある。
そして、今やらなければいけないこと。人として、彼女が求めた人間として。
彼女を小さな小さなお墓に…埋めてあげなきゃいけない。
ボクはおもむろに彼女を抱え、自分の部屋を出で外へ向かった。
お父さんはただ、ただ無言で見守っていた。
まだ、雪のちらつく外。ボクはシャベルも、防寒具も持たずに外へ出た。何も気づいてやれなかった自分を責めたのだろうか、それともその代償として彼女に早く天に向かわせてあげたかったのか。
ボクは庭の冷たい土を手で入れ掘り続ける。やがて、指の感覚がなくなる。まだ、十センチメートルも行っていない。もう、指だけじゃなく、手でぬぐった顔、両腕、そして服までが土で汚れていた。
それも気にせず、一心不乱に穴を掘り続ける。
もう、どれくらいたっただろう。やっとの思いで彼女──猫が入るぐらいまで掘り上げた。手の跡が残り、凍傷になりながら掘り続けて、血すら滲んでいる粗雑なものだったが、やっと完成させた。
そこに彼女を埋める。もう、何度目になるか分からない彼女の顔を見ると、やっぱり寝てるようにしか見えなかった。この目がもう開くことはないのだろうか。このまるで生きているような屍を見てると、また目が熱くなった。
彼女はおそらくこの近くで見ているであろう。だから。だからこそ、最後の埋める瞬間ぐらいは泣かないで笑っていたかった。
『ボクは君がいなくても大丈夫だよ』
そう誇れるように。
自分の中でもう、彼女は必要無いのだと割り切るためにも。
でも、できなかった。
一粒、一粒…彼女を土に埋め、土に埋める度に顔から雫がこぼれ落ちる。
そして、埋め終わる。
彼女の為に墓を建てた。
盛られた土の上に小さな小さな木の枝が一つ。十字架にはできなかった。木はあった。でも、結ぶものが無かった。ボクの家に戻ればひもぐらいはあるだろう。だが、ここから離れたくなかった。
離れたら、二度とここに──彼女に会えないような気がして。
両手を付けて小さな小さな、そしてちっぽけな彼女の墓に祈った。
何を祈ったかは自分でも分からなかった。ただ、彼女の為に、そう、彼女の為だけに祈った。両手にはもう顔をくしゃくしゃにしているボクの顔から溢れた感情の粒がまるで雨のように手に落ちる。
その時、何かが聞こえた。声のような、いや、意志の風のようなそれは、一言、
「ありがとう」
そう聞こえた。
また、幻聴かもしれない。でも、ボクは信じたい。彼女が最初で最後で発した言葉だと。そして、ボクに言った最初で最後の言葉だと。
「…ありがとう」
涙の出すぎですでに声すら出せないのに、それだけは言えた。本当はそれ以外にも言いたかった。でも、結局、声が出ない。
ボクは立ち上がって、天を見上げた。
さっきまで雪が降っていたのにもかかわらず、今は快晴中の快晴。今までで一番晴れているようなきがするぐらい晴れていた。
その中で、ひときは光る星を見つけた。ボクにはそれが、何かに見えた。
快晴の空の下で、星は輝き、天へと向かう
輪廻は命の全てを巡り
ボクの元へ再び訪れるだろうか
そう、今日の夜のように