「ふぁ〜〜ぁ」
ああ、眠たい。
何で、こんなに眠たいんだろ。
もう、二日ぐらい寝なくてもいいじゃない? もう、時間がないんだから、もうちょっと、引っ込んででよ。眠気は。後でよく寝てあげるから。
今は2081年。
2078年に行われた、「ALPHA‐GATE」の実験は被験者が帰還せず、臨床実験は失敗と終わってしまった。しかも、臨床実験の被験者が、この装置の設計者本人だった上に、その関連の資料が入ったコンピューターにはほぼ解読不可能な超高度な暗号化がかけられていた。
「だからって、何で私が解読しなきゃいけないのよ…。そりゃあ、給料も良いし、中身にも興味があるけどさぁ…」
機械的なチェアーに腰をかけて、解析中のコンピューターを横目に疲れた表情した女性が、あたかも死にそうな姿勢をしている。
凛とした顔つきに上は薄青いポロシャツに下はジーパン。この時代では珍しい、古典的なラフな格好をしている女がそこにいた。
もっとも、今は疲れているようなので、凛とした顔は明らかに疲れきっていた。
「大丈夫〜? もう、二日も寝てないんでしょ? もう、そろそろ、休んだらどう? あと、NK16に任せれば良いじゃない?」
「でしょ、アストラ?」
死んでいる彼女の近くで、元気な顔をして本を読んでいる女性が本を読むのを止めずに言った。
――器用なものだ。
「そうですね。私の計算によると…、あと、247時間は…」
机においていた端末から女性の声が返ってくる。
彼女は「RTB」ネットワークの管理サーバー、NK16に搭載されている人工知能の擬似人格である。
2078年の「ALPHA‐GATE」の研究員が消失の事件は国際的に報道された。これは、公式に発表されてはいなかったが、一部の研究員の内部告発で明らかになった。
その後、その告発のおかげで、当時最強の国々といわれた、13の国が持つ、スーパーコンピューター、計423台のシステムを統合して、管理できる「RTB」というシステムが作られた。
それの中核を成す管理システムが「NK16」というシステムである。
「ねぇ、アストラ…?」
「な、何でしょう? マスター?」
怯えながら反応するアストラ。
それと対照的に機械的な動きで起き上がり、彼女の方をにらみつける女性。
それもそうだ。このアストラはこの女、京極玲子の奴隷もとい、召使い程度地位にしかいない。何せ、このアストラはNK16が動いていての存在である。NK16の使用権が彼女にあるかぎり、アストラはいつでも消されてしまう可能性がある。
「あなたが、出てるだけで、200テラフロップスも処理が落ちるのよ? 邪魔だから消えなさい。それとも何、私の邪魔するつもり?」
「すっ、すいません。マスター…」
「分かった? じゃあ、さっさと子供は寝なさい。それとも、消されたいの? RTBごと」
「いやですぅ、いやですよぉ。私はまたあそこに戻りたくはありません…。それに私子供じゃないですよ…」
「だったら、大人しく寝てるのね」
「はぁ〜い…」
時間がないんだから、何度私を怒らせたら分かるの。もう!AIなんか、いらないのに…。
と思うものの、彼女にとって、アストラは唯一の親友にも近い存在だった。彼女は今までの生涯の殆どを利用するためだけに生きてきた彼女は、親友といえる人が殆どいなかった(妹すらも利用の対象)。今回、解読しているこの箱の持ち主さえも、利用するためだけに付き合ってきたのだから。
そこで、出会った偽りのかけらもない人であって人でないもの。それが、このスーパーコンピューターのAIアストラだった。
ああ、なんで、これの解読に私が選ばれたんだろ?
友人って言うのは分かるんだけど、私、あの子に関して詳しくは知らないし…。
こんなこと考えても、疲れが取れる訳でもないので、さっさと寝ることにした。あとは、殆どすべて、アストラとNK16がやってくれるだろう。まあ、最悪、システムがフリーズしてしまっても、再起動掛ければいいし、殆どの場合はアストラが解決してくれるだろうし…。
そして、私は眠りに落ちた。
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「マスター…眠っちゃたんですか…?」
「そうみたいだね。アストラちゃん、大丈夫だよ。姉さんはアストラちゃんのこと大好きなんだから。今日は、疲れてたからあんなことを言っちゃったけどね」
「はぁ。そうなんですか…。人間の感情って難しいです…」
「でも、よかったです。マスター、私のことが嫌いになっちゃのかと思いました」
「大丈夫。姉さんはきっと、起きればいつもどおりの優しい姉さんになるから」
ほっと、一息つく。
その間にマスターの妹さん、京極彩さんは私も一休みするからぁと言って、戻っていってしまった。
私はNK16に搭載されている人工知能の擬似人格、通称アストラ。今年の春に人工知能の特許技術を持つ、アルティミジョンという会社によって作られた。
身長は一六七センチメートル、スリーサイズは…。
「って、マスター何を言わせるんですか!?」
「ふふっ、面白いわね。アストラ」
「何弄って遊んでるんですか!? マスターは! もう、勝手に私のシステム弄らないでくださいよ…。もう、オリジナルを復元するのが不可能なぐらいになっちゃってるじゃないですか!」
ううっ、なんて酷いマスターだ…。いくら、自由に使って良いとは言え、私をここまでしなくてもいいじゃないですか…。私の尊厳なんか無視なんだ…。
まあ、こんなこと、口が裂けても言いたくないんだけど…。
それとマスターあなたはいつ起きたんですか…。さっきから、30分もたってない気がするんですが…。
「あんた、口裂けることなんてあるの?」
「なっ!」
「それにさぁ。私の唯一の楽しみをとらないでよ。私はあなたを遊ぶことが今の唯一の楽しみなんだから。安心しなさい。私はあなたを消したりは絶対にしないから」
「あうぅ。システムコンソール読まないでくださいよ…。私がなに考えてるかバレバレじゃないじゃないですか…」
私は人間と等価じゃないんですか…。私も人間と同じ形をしてるんですから、人間と同じ扱いをしてくださいよ…マスター…。
「って、あれ?」
「アストラ? どうしたの?」
「不思議なコードがあるんですよ。この暗号化コードと特徴が違うし、現存するすべての暗号化と違んですよ」
「見せてくれる?」
彼女の目の色が変わる。
さっきまでは、明らかに人(?)をいじめる女の遊びの目だったのに、今は、完全にコンピューターの奇才とも言われた、神の目として働いている。
――そう、人知を超えた奇才、京極玲子の目に――
「ここの2メガバイトのデータがそうなんですけど…」
アストラは彼女のパソコンにデータを送る。
送られたデータは即座に彼女の持つ携帯端末へと送られる。
「う〜ん。このコードは見たことないわね。暗号化掛かってないか、あるいは未知の暗号化か。私の知ってる形式にはないわ。もしかしたら、過去の形式かも知れないわね」
「私が解析する限りでも、これに該当する暗号化及び形式はないですね」
アストラが知らない。それは事実この世に公開されている情報には一切該当しないということである。何故かというと、アストラの人工知能はその知識を会話で得た情報以外にネットワーク上にある情報から取り入れる仕組みになっているからである。
ネットワーク上にあるデータは莫大である。その情報源としても、該当する情報がないということは、トップシークレット扱いの可能性が高いかもしれない。
「で、しょうしましょ? これ」
「どうするも、何も。とりあえず、これをどうするか、あの人たちに聞かないと」
あの人。玲子にこの仕事を押し付けた張本人である。
何故、彼女が「あの人」と呼んでいるかというと、名前を聞こうとも、まったく答えてくれず、「私は名乗るほどの者ではないですよ」の一点張りだったからだった。
仕方なく、彼女はどこの人なのかを聞こうとしたのだが、その人はメモ用紙を渡して、何かあったら連絡よろしくといって居なくなってしまったらしい。
「う〜。私でもあの人嫌い…」
「…? 何故です、マスター?」
「そうだよ、姉さん。あの人、そんな姉さんのことを機械みたいにはないよ」
「だって、あの人さぁ、私を軽く見てるように見えて仕方ないなもん…っていつの間に!」
「さっきから、騒がしいから来て見れば、こんなことになってるなんて。私にいってくれれば調べたのにねぇ? アストラちゃん?」
はははっ、と空々しい二人の笑いが飛ぶ。
この人はコンピューターフォーマットの学者で、この世でもっともコンピューターの形式を知ってる人間である。砂漠の砂をすべて判別できるぐらいの数である。
「でも…」
そんな、動くコンピューター辞典すらも表情を曇らせていた…。
「私にもわからないよ、コレは。この形式、何かの設計図じゃないな?」
「彩にも分からないか…。そう、ありがとね」
「どう致しまして。姉さんは私の姉さんなんだから、どんどん聞いて飯野のに。そんな他人行儀じゃなくてもいいんだよ!」
「ありがとう、彩。でも…ね」
言った瞬間、バァンと背中を叩かれた。とっさの出来事なので、対応しきれず思いっきり入った。
まあ、これはいつもの事なので、もうとっく慣れたのだが、今回は予告なしで食らったので、かなり痛かった。
彼女が基本的にコレを行うのは、殆どの場合は私が弱音を吐いた場合だった、と言うことは今回は弱音に入るのだろうか?
「痛いなあ、一体私が何言ったって言うのよ」
「うん? 何にも。ただ、私と姉さんは姉妹なんだから、遠慮しなくて良いんだよ。ホラ、そんなことしてないで、私のこと気にする前にさっさと『あの人』の所言ってこないの?」
「あ」
間抜けな声を上げてしまう。
それもそうだ。今のは完全に寝耳に水だった。なんせ、さっきまでこの後、『あの人』の所に行くなんてことを完全に忘れていた。
でも、彩…いきなり横槍を刺してくるのはやめて…。本当にびっくりするから。
「やだよ。だって、姉さんがびっくりするのが、私の趣味なんだから♪」
「ッ〜〜!」
「勝手に人の心読まないで〜。彩、お前は超能力者かぁ〜! アストラなら簡単に読めるから問題外として、人の心を読むのは人権侵害〜!」
「私は問題外なんですか…」
さっきから、横で様子を見ていたアストラがつぶやく様に言う。
自分が問題外と言われて相当落ち込んだようだ。まあ、あくまで『見た目が人間なだけ』なので仕方ないかも知れない。
「もう…、そこも…言わないで…くださいよ…」
「気にしない、気にしない〜♪ ほら、さっさと行かないの、姉さん?」
「それはどちらに言ってるんですか…彩さん…」
「気になるわよ〜。う〜、見てなさいよ〜! いつか、ギャフンと言わせてやるんだから。覚悟してなさい!」
両方の言い分を玉砕するようにひとこと言う。
両者ともこれ以上抵抗することが出来ないらしく、一人はこれ以上無いほど落ち込んでいて、もう一人は半怒りモードで負け惜しみを言っていた。
ただ、言った本人本当にどっちとも取れないような方向を見ながら、笑顔で言っていた。もしかしたら、明日の方向を見ていっていたのかもしれない。気にしないほうを見ていたのかもしれない。
(見てなさいよ。今度こそ絶対に…)
何度目か分からないこのセリフを心に刻み込み、データの部分が記憶されたディスクと端末を鞄にしまい、出かける準備をする。
彩は言葉遊びの天才だと一度友人に言われたことがあるが、もしかして…しなくても天才だろう。私も割りと毒舌だと自分自身でも思うが、彩はレベルが違う。例えるなら、犬と狼だろうか。大して変わっている気がしないかも知れないが、犬では殆どの犬種では狼にかなうほどのチカラは持ちえていないからだ。
もっとも、この時代、犬なんて飼っている人はわずかな物好きしかいないだろうが。
「じゃあ、留守番頼むよ。彩。…あと、覚悟しておきなさい、彩」
「はい〜、いってらっしゃい。帰りを楽しみにしているよ〜」
「いってらっしゃいませ、マスター。私も帰りを楽しみにしてます」
なんか、ムカつく。まあ、良いか。彩もギャフンと言うような成果を挙げて帰ってきてやる。まあ、『あの人』がいなきゃ意味がないんだけど…。
もう、やけくそだ〜。
もう、なるようになれ、こんちくしょ〜!
私は半分自暴自棄になりながらも、このデータの中身を確かめるために、外にでた。